サイレントマジョリティー団結

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サイレントマジョリティー団結

自分語りをするための自己満足ブログ

「パリピ」は打倒しなくてはならないと再確認。

昨日の自己批判(=軽い病み)から一転し

復活を遂げた、私、KGMでございます^^

 

今回は「パリピ」批判シリーズ第二章ってことになる。

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今回はパリピは2020の東京オリンピックまでに打倒し

新しい風を吹かせなければならないということを述べようと思う。

 

 

何回でも言おう。

「パリピ」は打倒しなければならないと。

 

前に「対パリピ包囲網」を敷くことを推奨した記事を必読願いたい。

frankgm.hatenablog.com

 

では本題に入っていこう。

まず打倒しなくてはならない理由を述べる。

 

何故「パリピ」を打倒する必要があるのか。

小生がパリピを憎む理由。

それは中身も無いような

社会的に見たら「モブ」と言っても過言でもないような人間が

「酒」と言う名の魔法のチカラを借り、

「パリピ」という怪物もどきに変化し

自らの「身内」に於いてのみ効力を発動する。

 

そんな姿を横から滑稽な気分で拝見し、

現を抜かす。

 

来る2020年の東京五輪に於いてこんな姿を見た

外国人はどんな気持ちになるんでしょうか。

 

情けない、日本の歴史に汚点をつける。

美化されている「パリピ」を打倒する革命を行う必要が有るのだ(革命的断言)

 

「パリピ」に変わる新しい階級を提唱する。

なんだかんだ言って若者の社会を盛り上げているのは「パリピ」

である、側面も否定できない。

そしてそれに憧れる学生たちを見て滑稽な気分に陥る件についても否定できない。

 

「パリピ」に変わる新しい階級それこそが

久々に申し上げる、それが、

「フェスリスト」なのだ。

 

小生は「フェスリスト」という言葉を造り上げ

そしてそれを懺悔してしまっていた側面もある

それは何故なら一部の人間を「フェスリスト」と断言し

高校時代のいわゆる「いつめん」の名前にしてしまったからだ。

これはあくまで小生の侵してしまった罪である。

 

「フェスリスト」とはどうあるべきか。

「フェスリスト」とはどう有るべきか。

日本には昔からの文化として「祭礼」がある。

これは神をリスペクトし後世に伝統を引き継ぐという意味もある。

 

「フェスリスト」の「フェス」それは祭りである。

「パリピ」の「パリ」すなわち「パーティ」。

日本の文化の「祭り」に海外への憧れ「パーティ」

 

その差は歴然。

「パーティー」は社交の場であったとしても

相手へのリスペクト、すなわち尊敬の想いが欠落している。

 

日本人の大切な文化「リスペクト」の魂を引き継ぎ

あたらしい風を吹かせる

それが小生の理想の「フェスリスト」なのである。

 

それはすなわち

ただ身内で騒ぐ者ではない。

新しい風を受け、新しい風を吹かすのだ。

そうすることで風というのは何倍にでもなる。

 

これを日本の新しい文化にしようじゃないか。

 

2020東京五輪、この素晴らしい日本の団結力で成功させるべし。